むかし、ある比丘たちが森の中を歩いていた時、一人の比丘が美しい一本の木に目を奪われ、その木に魅了されました。彼はその木の下に座り、瞑想を始めました。他の比丘たちはそのまま歩き続け、全体の森の美しさや多様性に気づきながら進みました。

その後、彼らはお釈迦様のもとに戻り、その出来事について話しました。お釈迦様は微笑んで、次のように説かれました。

「この世の中には、美しいものや魅力的なものがたくさん存在します。しかし、それに執着することで全体の真理を見失うことがあります。たとえば、一本の木に心を奪われていると、森全体の美しさやその中に存在する様々な生き物たちに気づくことができません。同様に、一つの事象や感情に執着すると、人生の全体像や真理を見失うことがあります。

私たちは、一つ一つの木を見ることも大切ですが、それと同時に全体の森を見ることも忘れてはなりません。それが、智慧と洞察の道であり、真の目覚めへの道なのです。」

こうして、お釈迦様は比丘たちに、執着を離れ、全体を見通す智慧の重要性を教えました。

お釈迦様は比丘たちに続けて説かれました。

「比丘たちよ、苦しみを回避する最も確実な方法は苦しみを探す事です。しかし、人々はしばしば喜びや快楽に執着し、それを追い求めます。そして、その瞬間的な快楽が終わると、不満や苦しみが生じます。

なぜかと言うと、全ての感覚や感情は無常であり、常に変化するものだからです。喜びや快楽も一時的なものであり、永遠に続くものではありません。例えば、甘い果実を食べるとき、その甘さに喜びを感じます。しかし、その果実がなくなれば、再びその甘さを求めて新たな果実を探すことになります。そして、その過程で欲望や執着が生まれ、それが満たされないと不満や苦しみが生じます。

このように、私たちは常に変わり続ける感覚や感情に振り回され、その結果、欲望や執着に囚われてしまいます。これが、苦しみの連鎖の原因なのです。私たちが一つの感覚や感情に執着する限り、永遠に満たされることのない欲望に苦しみ続けることになります。苦しみを探すとは、この連鎖を断ち切る方法なのです。

例えば、森の中には、美しい花や実をつける木だけでなく、朽ちた木や倒れた木もあります。それらすべてが森を構成する一部です。私たちの人生も同じです。喜びだけでなく、悲しみや困難もまた、人生の一部です。これらすべてを受け入れ、全体として見ることで、私たちは真の平和と理解に到達することができます。

この教えを受けた比丘たちは、お釈迦様の智慧の深さに感謝し、それぞれの修行に励むことを誓いました。

 

比丘たちがお釈迦様の教えに耳を傾けていた頃、一本の木に魅了されていた比丘は、瞑想を続けていました。

日が沈み、辺りが暗くなるまで、彼は深い瞑想に没頭していました。

瞑想から目を開けた時、彼は驚きました。昼間は美しく見えたその木は、夜の闇に包まれてその魅力を失っていました。彼の目の前には、かつて魅力的に見えた葉や枝の輪郭すらも見えませんでした。

しかし、その暗闇の中で新たな光景が広がっていました。無数の蛍が夜空に舞い上がり、彼の周りで美しい光を放っていたのです。彼はその光景に目を奪われ、昼間には気づかなかった自然の美しさに心を打たれました。

その時、比丘は悟りました。昼間の木の美しさに執着していた自分が、夜の森の新たな美しさを見逃していたことに気づいたのです。彼は心の中でこう思いました。

「昼の光の中で見えた木の美しさに心を奪われていたが、今はこの夜の暗闇の中で蛍の光が新たな美しさを示している。自然の中には、時間や状況によって異なる美しさが存在するのだ。」

比丘は立ち上がり、他の比丘たちのもとへ戻ることを決意しました。暗闇の中、木々の間を慎重に歩き始め、周囲の音や匂い、風の流れを感じることで、自分の位置を確認しようとしました。彼は森を通り抜けながら、お釈迦様の教えの真理を再確認しました。一つの感覚、目印を当て力にせず、森全体を見て感じることの重要性を実感することが出来たのです。

しばらくして、彼は遠くに仲間たちの話し声を聞きました。その声を頼りに歩き続け、ついにお釈迦様と他の比丘たちの元にたどり着きました。

彼が他の比丘たちのもとに戻った時、お釈迦様は彼に微笑みを向けました。そして、彼が得た洞察を確認するように、次のようにおっしゃいました。

「比丘よ、あなたは重要な教訓を得たことでしょう。執着に囚われることなく、全体を見ることの大切さを理解したのです。比丘よ、自然の美しさは一時的なものであり、常に変わりゆくものです。昼と夜の違いのように、私たちの感覚や認識も変化します。あなたが昼間に感じた素晴らしさは、夜の暗闇の中で影を潜め、あなたが昼間に見向きもしなかったものは、夜の暗闇の中で輝いていました。あなたが昼間に気づかなかった感覚は、夜の暗闇の中を渡るために不可欠な感覚でした森だけの変化ではなく、帰り道でのあなたの変化は、あなた自身の無常を明らかにしたのです。。執着を離れ、全体を見ることで、私たちは真の智慧を得ることができるのです。」

比丘は深く頭を下げ、感謝の意を示しました。そして、彼は他の比丘たちと共に修行に励み、お釈迦様の教えを日々の生活に活かすことを誓いました。