ある日、タケルは朝食にパンを食べようとしていた。冷蔵庫からジャムを取り出し、パンに塗っている最中だった。タケルはその瞬間を楽しんでいた。ジャムの甘さがパンに染み込む様子を見ながら、心地よい朝のひとときを感じていた。

突然、妹がキッチンに駆け込んできて、何も言わずにジャムを手に取って持っていった。タケルは咄嗟に言い放った「ちょっと待ってよ、今使ってるんだけど!」

妹は「いいじゃん、こっちは急いでんの!」と軽くあしらい、ジャムを持って行ってしまった。タケルの心には少しの苛立ちと不満が残った。


「タケルの怒りは、ジャムを使用中に生じた一時的な所有感と、今は自分が使っている、という管理下にあるべきという認識が侵害されたことによって生じました。ジャムは家族共用のものであり、誰でも使う権利があるのに、使用中にその所有感が侵害されると、まるで自己が侵害されたかのように感じます。」

タケルは妹に対して怒りを覚えたが、心の中では冷静になろうと努めた。「ジャムは家族共用のものだし、妹にも使う権利があるんだ」と自分に言い聞かせた。しかし、その瞬間の所有感が破られたことで、心に小さな波紋が広がっていた。

妹が戻ってきたとき、彼はなるべく穏やかな声で言った。「次からは使うときに一声かけてくれると助かるよ。」

妹は申し訳なさそうにうなずき、タケルは心の中で少しの安堵を感じた。怒りの瞬間は過ぎ去ったが、その背後にある所有感の問題は依然として残っていることを感じていた。

「タケルのように、私たちも日常生活の中で一時的な所有感や期待が破られるときに怒りを感じることがあります。これらの瞬間に気づき、冷静に対処することで、怒りの火種を消火することが出来ます。」

 

学校に付くと友人に貸していた本が帰ってきた。タケルは大切にしていた本をその友人も読みたいと言っていたので、喜んで貸したのだった。しかし、その本が戻ってきたとき、タケルは驚いた。本の表紙は擦り切れ、ページは折れ曲がり、まるで雑に扱われたかのようだった。

タケルの心はざわつき、胸の奥から怒りが湧き上がってきた。「どうしてこんなに雑に扱ったんだ?」という疑問が頭をよぎる。彼は本を大切に扱うことに強い思い入れがあり、その本がまるで価値のないもののように扱われたことに、深い失望を感じた。

まるで自分自身が粗末に扱われたかのような感覚に襲われ、友人に対する怒りが増幅した。


「タケルの怒りは、本に対する執着から生じています。粗末に扱われたのはあくまでも『本』であり、彼自身ではありません。しかし、彼はまるで自分自身が粗末に扱われたかのように感じています。この感情は、所有物に対する強い執着から来ています。」

タケルは友人に対して怒りを感じたが、その感情をどのように表現すべきか迷った。彼の心には、友人への信頼が裏切られたという感情が渦巻いていたが、同時に友人に対して冷静でいたいという思いもあった。

「この本、もう少し丁寧に扱ってほしかったな。」

友人はすまなそうに謝ったが、タケルの心の中の怒りはすぐには消えなかった。ボロボロになった本が元に戻ることは無い事に悲しみを感じていたからだ。


「タケルの怒りは、無常の理解が欠けていることからも生じています。『本が綺麗なままであり続ける』という固定不変性への期待が、無常によって崩れたためです。すべての物事は変化し続けるという真理を理解し、受け入れることで、所有物に対する執着とそれに伴う期待を手放すことができます。」

タケルはその後も心の中で怒りと失望を抱え続けたが、同時にこの経験から学び始めた。彼は、所有物への執着がどれほど自分の心に影響を与えるかを実感し、少しずつその執着を手放す方法を模索するようになった。

 

この日、タケルは学校の授業で発表を行った。彼は一生懸命に準備をしてきた。原稿を書き、スライドを作り、何度か練習もしてきた。発表の順番が回ってきたとき、彼の心は緊張と期待で満ちていた。

タケルは教壇に立ち、発表を始めた。最初は順調だったが、先生の表情が徐々に険しくなっていくのが見えた。発表が終わると、先生は厳しい指摘を始めた。「この部分の説明が不十分だね。もっと具体的な例を挙げてみよう。」先生の言葉に、タケルは自分の努力が認められなかったことに対する失望感と、自分の価値が否定されたように感じる怒りに苛まれた。


「タケルの苦しみは、自己の評価や自尊心に対する執着から来ています。彼は発表に対する評価が自己の価値を反映するものだと感じていたため、その期待が裏切られたとき、まるで自己が否定されたかのように感じました。このように他者からの評価や批判が自己の価値を脅かすと感じると、心は動揺し、苦しみを感じます。」

タケルは教室で静かに座り、先生の指摘を聞きながら、自分の内心の動揺を感じていた。「先生の指摘は、自分の成長のために必要なことだ」と自分に言い聞かせつつも、彼の心の中では、「あんなに頑張った結果がこれか…」という思いが渦巻いていた。

「タケルがこの日感じたこれらの怒りは、すべて自己のコントロール下にあるべきという認識が侵害されたときに生じています。所有物や状況、自己の評価に対する強い執着が、その認識を作り上げています。」

「この執着を手放し、無常、無我の真理を理解することで、私たちは自己のコントロールという幻想から解放され、心の平安を得ることができるのです。」

 

ここで紹介してきた怒りは、瞬間的な怒りであり、特定の出来事や状況に対する即時的な反応です。このタイプの怒りは、何かが期待通りにいかなかったり、自分の所有物や自己のイメージが傷つけられたと感じたときに瞬間的に発生します。

それに対し、所謂、恨みは、瞬間的な怒りが解消されず、長期間にわたって心の中に残り続けることによって生じます。今回のような瞬間的な怒りが適切に処理されない場合、それが心の中で繰り返し再生され、持続的な苦しみや憎しみに変わることがあります。これは、怒りの感情が心の中に深く根付き、執着や欲望、自己中心的な思考によって燃料を供給され続けた結果です。

瞬間的な怒りを小さな火種に例えるならば、恨みはその火種を放置し、さらに燃料を与え続けた結果生じる大火のようなものです。小さな火種は、一時的に強い感情を引き起こしますが、適切に対処されればすぐに消える可能性があります。しかし、その火種が解消されずに心の中に残り続けると、それは時間とともに増幅し、持続的な恨みや憎しみという大火に成長します。私たちは、怒りが生じた瞬間に気づき、適切に対処することで、心の中に持続的な苦しみを生じさせないように努めることが重要です。