東京の郊外に位置する静かな寺院に、一人の若い僧侶、修心(しゅうしん)がいた。修心は毎日早朝から夜まで修行を続け、心の平安を求めていた。しかし、彼は一つの悩みに直面していた。それは、心を制御するためには、自分の心に嘘をつく必要があると感じていることだった。

修心は、感情が激しく揺れる瞬間に、怒りや悲しみを感じたとき、それを抑え込むために「この感情は存在しない」と自分に言い聞かせることがあった。彼はそれが本当に正しい修行の方法なのか、疑問に思い始めていた。

 

ある日の夕方、修心は寺院の住職である慧覚(えかく)和尚のもとを訪れた。夕陽が差し込む縁側で、二人は静かに座っていた。修心は深く息を吸い込み、悩みを打ち明ける決意を固めた。

「慧覚和尚、私は心を制御するために、自分の心に嘘をついてしまうことがあります。感情を抑えるために、存在しないふりをするのです。これが正しい修行の方法なのでしょうか?」

慧覚和尚は静かに頷き、少しの間考え込んだ後、穏やかな声で問いかけた。「修心よ、なぜそのように感じるのか、もう少し詳しく話してくれるか?」

修心は少し戸惑いながらも続けた。「例えば、怒りを感じたとき、その怒りを抑え込むために『これはただの幻だ』と自分に言い聞かせます。でも、それは本当にその感情を解決したことになるのでしょうか?」

慧覚和尚は優しく微笑み、「その怒りを感じたとき、何がその感情を引き起こしているのか、深く観察してみたことはあるか?」と尋ねた。

修心は首を横に振り、「いいえ、ただその感情を否定しようとしていました。怒りや悲しみを感じること自体が良くないと思っていました。」

慧覚和尚は少し身を乗り出して、「修心よ、感情そのものは善でも悪でもない。ただ、それにどう対処するかが重要なのだ。怒りを感じたとき、その怒りの原因を見つめ、それを理解することで、真実の知恵を得ることができるのだよ。」

修心は目を見開き、和尚の言葉に耳を傾けた。「でも、その感情を否定しないと、心が乱れてしまうのではないでしょうか?」

慧覚和尚は静かに首を振り、「否定するのではなく、受け入れることだ。感情を否定すると、その感情はさらに強くなることがある。しかし、受け入れて理解することで、その感情は自然と和らいでいくのだ。内面から湧き上がる自然な反応、それ自体が悪いわけではない。例えば、怒りは不正や不公平に対する自然な反応であり、悲しみは大切なものを失った時の自然な反応だ。これらの感情を感じることは、人間として正常なことであり、それを否定する必要はない。」

修心は考え込みながら、「つまり、感情を観察し、その原因を理解することで、心の平和を保つことができるのですね。」とつぶやいた。

慧覚和尚は満頷き、「その通りだ、修心よ。心の中に湧き上がる感情を観察し、それを理解し、慈悲の心で受け入れることが真の修行である。自分に嘘をつくことなく、真実に基づいて行動することで、心は浄化されるのだ。」

修心は深く息を吐き、心の中に一筋の光明が差し込んだように感じた。「ありがとうございます、慧覚和尚。私はこれから感情を否定せず、観察し、理解することに努めます。」

慧覚和尚は微笑み、「それでよい、修心よ。常に自己の内面を観察し、真実に基づいて行動することで、さらなる智慧と平安を得ることができるだろう。」と励ました。

修心は感謝の気持ちで頭を下げ、心の中に新たな決意を抱きながらその場を後にした。

 

ある日の夕暮れ時、修心と慧覚和尚は寺院の庭を散策していた。風がそよそよと吹き、木々の葉がささやく中、二人は日々の修行について話し合っていた。その時、二人の目に奇妙な光景が飛び込んできた。

普段は品行方正な僧侶である清雅(せいが)が、木陰に隠れて酒を飲んでいるのを目撃したのだ。修心は驚きと同時に、裏切られたという強い怒りがこみ上げてきた。

「清雅さん、何をしているのですか?」修心は声を震わせながら問い詰めた。

清雅は驚き、手に持っていた酒瓶を隠そうとしたが、既に手遅れだった。「修心…これは、その…」

修心の怒りはさらに募った。「あなたはいつも戒律を守ると言っていたのに、どうしてこんなことを?」

慧覚和尚は静かに清雅の方に歩み寄り、その手に触れた。「清雅よ、何があなたをこの行動に駆り立てたのか、話してくれないか?」

清雅は恥ずかしそうに目を伏せ、「私は…最近、修行に対する焦りと不安が募り、その気持ちを紛らわせるために酒を飲んでしまいました。本当にすまないと思っています。」

修心はなおも怒りが収まらず、「それでも寺で酒を飲むなんて、許されることではありません!」と声を荒げた。

慧覚和尚は穏やかに修心の肩に手を置き、「修心よ、感情を否定せずに観察し、その原因を理解することが大切だと言ったではないか。今、あなたの心にある怒りを見つめ、その根底にある感情を理解してみなさい。」

修心は深呼吸し、心を落ち着けるよう努めた。「私が怒っているのは、清雅さんを信頼していたからです。彼が戒律を破るなんて、思いもよらなかったから…」

慧覚和尚は微笑み、「その通りだ。信頼を裏切られたという気持ちが、あなたの怒りの原因である。では、清雅の行動の背景には何があるかを考えてみよう。」

清雅は目に涙を浮かべ、「私も修心に対して誠実であるべきだった。焦りや不安に押しつぶされそうになって、間違った道を選んでしまった。」

慧覚和尚は深く頷き、「清雅よ、あなたも修心も、感情を持つ人間である。大切なのは、その感情を認識し、理解し、正しい方向に導くことである。修行とは、自己の弱さを認め、それを克服することに他ならない。」

修心はその言葉を胸に刻み、清雅に向かって静かに言った。「清雅さん、私も未熟でした。あなたの気持ちを理解せずに怒りに任せてしまいました。これからは、お互いに支え合いながら修行を続けましょう。」

清雅は涙を拭い、深く頭を下げた。「ありがとうございます、修心。そして慧覚和尚、これからは心を正しく見つめ、戒律を守ることを誓います。」

慧覚和尚は満足げに微笑み、「それでよい。共に歩み、学び、成長することが大切である。感情を受け入れ、理解し、浄化することで、真の平安と智慧を得ることができるのだ。」

修心は新たな決意を胸に、清雅と共に修行を続けることを誓った。その日から、彼らの修行はさらに深まり、心の平和と調和を追求する道を歩み続けた。

 

修心と清雅がそれぞれの思いを語り合う中、慧覚和尚は静かにその場を見守っていました。彼の心の中にも修心と同じく、怒りと失望の感情はわき起こっていました。しかし、彼はその感情を抑え込むのではなく、観察することで心の平和を保つことに成功しました。

ここからは彼の感情の観察のプロセスを覗いてみましょう。彼はまず、湧き上がる怒りを感じた瞬間、その感情を否定せずに受け入れました。

「私は怒りを感じている。これは人間として自然な感情だ」と心の中で認識し、その後、彼はその感情の原因を探り始めました。

「なぜ私は怒りを感じているのか?」と自らに問いかけ、「清雅が戒律を破り、修心や他の僧侶たちの信頼を裏切ったからだ。」という答えが浮かび上がります。

彼はその答えを心の中で確認し、その次に、「この怒りの背後には何があるのか?」とさらに深く掘り下げ、その問いに対して、「私は清雅の行動に失望し、彼が正しい道を見失ったことに悲しみを感じている」と答えた。

慧覚和尚は、怒りの背後にある感情が失望と悲しみであることを理解します。この理解は、彼の怒りを和らげ、慈悲の心を呼び起こしました。

「清雅も人間であり、失敗や迷いを経験するのは当然のことだ」と心の中でつぶやき、自分自身に慈悲の心を持つよう努めました。

慧覚和尚は、感情を観察し、その背後にある真実を理解することで、怒りを鎮めることができました。彼の内面には、感情を受け入れ、理解し、それを慈悲の心に転換するためのプロセスがありました。

このプロセスを経ることで、慧覚和尚は冷静さを取り戻し、清雅と修心に対して指導と支援を提供することができました。彼は自身の感情を観察し、その理解をもとに行動することで、内面的な平和を保ち続けたのでした。